yosi0605's blog

とりとめのない備忘録です

終戦の日に

先日、東京から帰りの新幹線車中でJR東日本のフリーペーパー『トランヴェール』を手に取った。伊集院静の巻頭エッセイが掲載されていた。当然名前は知っているが何故か縁がなく、未読作家だったので期待せずにページをめくった。「花火に祈る」と題されたエッセイは長岡の花火について書かれたものだった。





十五、六年前より「長岡、摂田屋にある造り酒屋の人々に知己を得」てから長岡で花火見物をするようになった氏はある年、「花火にむかって両手を合わせ、拝むようにしていた」老婆を見つけて、「妙なことだ」と思った。その感じは世話になる家に戻って明らかになる。


 家に戻り、酒宴に座すと香りのいい線香の匂いがした。そちらに目をやると「祖母さんが祖父さんに今年の花火が無事に終わったと報告をなさってます」と言われた。祖母さんと語らった。「ここの人は花火を大切にしているんですね」「長岡は戦争の空襲で大勢の人が亡くなりました。花火もその人たちの供養のひとつです」それを聞いて私はなるほどと思った。
―――あの老婆は花火を拝みながら夫や息子の安穏を祈っていたのだ。

続けて、


 人が集まって、祖先や亡き家族の人を偲ぶのはやはりいい習慣である。日本が終戦を盆会の季節に迎えられたのは偶然ではあるまい。戦争の愚かさを夏が来るたびに思い返すことは日本人のつとめでもある。

明治12年「9月14日・15日千手町八幡様のお祭りで、遊郭関係者が資金を供出しあい、350発の花火を打ち上げ」て始まった長岡の花火は昭和13年に「戦争により、花火大会「中止」に追い込まれ」、長岡空襲、終戦を経て、昭和22年に復活する(「長岡花火の歴史」より)。平和に花火を見ることのありがたさ。終戦記念日『一本の鉛筆』を口ずさみながら考えたい。


さぁ、盆礼の続きだ。