yosi0605's blog

とりとめのない備忘録です

検証『永遠の0』その一(ネタバレ注意)

百田尚樹原作の『永遠の0』が原作も、岡田准一主演の映画も、ともに絶好調のようだ。
[永遠の0]V7で興収66億円突破

私はこの作品をまず映画で観て、その後原作を読んだ。
映画を見る前から作者のツイッターが物議をかもしているのは知っていて、フォローはしていないがリストに入れて日々呆れていた。
その点では先入観がまるっきり無いとは言えないかもしれないが、それでも作者個人と作品は別な可能性も(ある程度)あるのだからと、(一応)虚心坦懐に映画を観たつもりだった。
そして、映画と原作がある程度違っているという情報は得ていたので、ネットで原作の古本を購入して読んでみた。
疑念は確信になった。
それは、「構成は見事だが、どこかで読んだことのあるエピソードを羅列した、一歩間違えば「コピペ小説」と言えなくもない、非常に危険な綱渡り的作品」だということだ。
最後に「主要参考文献」が無かったら怒りのあまり本を破り捨てたかもしれない。

その「主要参考文献」にも記されているので、城山三郎著『指揮官たちの特攻』に絞って、原作を読んだ方ならピンとくる箇所を引用していみる。
煩雑になるので『永遠の0』からは引用しない。


ーここから先は『永遠の0』(原作)を読んだ方だけ進んでくださいー

*『指揮官たちの特攻』は新潮文庫版 平成十七年六月十日三刷 を使用。
*括弧で括った数字はページ数。

指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく (新潮文庫)

指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく (新潮文庫)

*『指揮官たちの特攻』文庫本裏表紙
神風特別攻撃隊第一号に選ばれ、レイテ沖に散った関行男大尉。敗戦を知らされないまま、玉音放送後に「最後」の特攻隊員として沖縄へ飛び立った中津留達雄大尉。すでに結婚をして家庭の幸せもつかんでいた青年指揮官たちは、その時をいかにして迎えたのか。海軍兵学校の同期生であった二人の人生を対比させながら、戦争と人間を描いた哀切のドキュメントノベル。城山文学の集大成

関行男、中津留達雄の二人は『永遠の0』にも名前が出てくるので記憶に留めている方も多かろうと思う。
二人のうち中津留達雄は海軍兵学校卒業後、巡洋艦「北上」を経て駆逐艦「暁」に乗り込むのだが、

この「暁」は、昭和十七年十一月の第三次ソロモン海戦で撃沈されてしまうが、中津留は少年時代から泳ぎ達者であったおかげで、実に十六時間も漂流したあげく生還、帰国した(P70)

主計科士官だった川淵秀夫は、当時の中津留大尉の印象について、
「部下に優しく、ハンサムだし、がっちりとして、まさに美丈夫という言葉がぴったりでした」(P88)

そして昭和十九年、中津留が自分たち夫婦を含め〈三夫婦が輪になって、搗き立ての餅を並べている(P66)〉 写真に写っている脇田(主計大尉)に当時としては意外な言葉を語っていた。
その言葉とは、

「僕は死に急ぎしません」
中津留は薄く微笑しながら言った、という。
海軍では「ぼく」ではなく「自分」とか「私」と言うべきなので、私は、
「『私』または『自分』ではなく、『ぼく』でしたか」
と念を押すと、
「そういえば……」
脇田は小首をかしげたが、やはり「ぼく」という記憶のようだし、脇田と親しくしている中津留なら、そう言いかねない。苦労も気苦労もなく育ち、警戒心を持たぬため、つい、そんな風に語りかけてしまったのであろう(P76)

この言葉、不用意なというか、当たり前の感想として片づけることもできる。
中津留は四月に結婚しており、新婚早々の妻保子を残し、むざむざ死ねるか、と。
いや、このとき、若夫婦は気づいていたかどうか。新妻は身ごもっており、女性として何より幸せで美しい季節の中にいた。
その妻、そして、いずれ生まれてくる子のためにも、むやみに死ねない、死にたくない。一日でも多く生きていたい。
特攻出撃を望まぬわけではないが、できる限りおそいほうがいい。
この種の、普通の人間が抱くごくふつうの思いが、まずあったであろう。(P76〜77)

この言葉が『永遠の0』において、「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」「宮部久蔵は何よりも命を惜しむ男だった」の基底になったのではないかと考える。

そして、いよいよ敗戦も間近となった昭和二十年七月三十日、宇垣纏(航空艦隊司令長官)が〈「陣地変更」という名の脱出(P175)〉 を行う。

七月三十日の日記の欄外に、
〈大分に陣地変更を決し参謀長及幕僚の一部夕刻零式輸送機にて鹿屋発大分安着〉(P175)

中津留はその大分基地に移動後に、生まれたばかりの娘に会うことができた。

宇垣のこの「陣地変更」に連動し、五航艦司令部は、美保基地から彗星一ヶ中隊を大分に派遣するよう命令してきた。
司令部所在の基地というのに、攻撃部隊が不在ではおかしい。
(中略)
一方、中津留大尉の実家は大分に近い津久見に在り、はじめての子がその家で生まれたばかり。
人情家肌の江間(飛行隊長)としては、中津留が鈴子と名づけたその子を見させてやりたい。もちろん妻の保子や両親にも会わせたい。
こうして、中津留が派遣隊長に決まり、隊員は中津留が選んだ(P176−177)

いずれにせよ、大分基地に落着いた中津留は、お七夜に当たる日、津久見に戻り、はじめて娘の鈴子を見る。
帰隊して、その感想を問われると、照れくささのせいもあって、「子猿みたい」。
赤ん坊とはそういうもので、命名どおり、鈴子は涼やかな女性に育って行くのだが、中津留は再び見ることはなく、一回限りの父子対面に終わった(P178)

その後、八月十五日、終戦の玉音放送の後、司令官の宇垣纏は独断で最後の攻撃をするのだが、

ただ、中津留の操縦する一番機に宇垣を乗せるためには、後部の席を空けねばならぬのだが、遠藤秋章飛曹長が降りるのを拒み、結局、宇垣が偵察員席に股をひろげる形で坐り、その前の床に遠藤が膝をつくという窮屈な姿での出発となった(P186)

『永遠の0』でも描かれた謎の機体変更だが、

このころは、部品不足や燃料の質に問題があったりして、エンジン不調が珍しくなかった。
現に、この日の出発に当たっても、中津留は自分の愛機のエンジン音に首をかしげ、指揮する一番機のことであり、また決死の宇垣長官のためにも、事故で不時着してはならぬと、他機に乗り換えた上での出撃であった。
果たして、つまり、本来、中津留の乗るはずだった機は、エンジン故障を起こし、途中で不時着している。
逆にいえば、機を交換していなければ、中津留らは命永らえることになったかも知れない(P187−188)

そして最後の攻撃は意外な結果に終わり、作者の城山三郎は「こうではないか」という推理をするのだが、これについては異論も根強い。
このあたりのことは『指揮官たちの特攻』を読んでいただいて、「中津留達雄」か「宇垣纏」でネット検索して確認して欲しい。 

いずれにせよ、

世間を見てきた脇田(主計)大尉に、
「明るくて物静か。いまの海軍にこういう人が居たのか」
と思わせたという中津留。
結婚する部下たちへの見本と思われるほどの夫婦仲の睦まじさ。
淡々としていて上司におもねることもなく、仲間や子分をつくることもしない。(P106)

中津留達雄についてこの本の中に散りばめられたエピソードの数々が、『永遠の0』における宮部久蔵の人物造形と物語に「多大過ぎるほど」影響を与えたことは間違いないだろう。

続く

追記 2月12日 記事中の敬称を省略、誤字を修正し、文意を変えないよう表現を追加した。