今日はタイトルからカギ括弧を外し、早くも変更の予兆が現れているような気がします。
で、昨日のブログタイトル由来の続き。
由来というのは正確ではないのかもしれないなぁ。
パクったと言ったほうがいいのかも。
ここにかなり古ぼけた本がある。
タイトルは『筑紫哲也のき・ど・あい・らく〜my emotions』。
はい、もうお分かりですね(^^ゞ
平仮名を漢字に戻しただけでございます。
- 作者: 筑紫哲也
- 出版社/メーカー: 晩声社
- 発売日: 1994/03
- メディア: 単行本
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1994年3月初版とあり、翌月に初版第二刷とある。
買ったのもそのあたりだと思う。
消費税が3%だって。
定価1236円[本体1200円・悪税36円]と裏表紙にありますよ、菅さん。目が死んでますよ!
これ、『話の特集』という雑誌に1990年5月号から1993年12月号までの連載コラムをまとめた本。
(コラムのタイトルは「き・ど・あい・らくーMY EMOTIONAL NOTE」)
かなり自由な雑誌の雰囲気の中で書かれたようで、文も内容も「筑紫節」全開といった趣がある。
中には20年後の今を予測したかのような内容もあったりする。
「筑紫哲也」というだけで(ある種の人達には)とことん嫌われているのを承知で、時々思い出したようにこの本から引用するかもしれない。
まえがきでは田原総一朗の連載の後釜ということを受けて、
「時代ノート」というタイトルが示すように、田原氏の連載は時事評論が中心だったが、生憎、私はそういう気分でなかった。長いこと、こういう仕事をしてきたが、本心を言えば、私は「天下国家」が嫌いなのである。〈中略〉嫌いだと言いながら、これも習い性で世の中のことを論ずる口調になってしまい、自分ではうんざりしたりする。これもふくめて自分の喜怒哀楽と思うしかない。
この際だから、目次だけでもいくつかピックアップする。
- 生まれて初めて本物のサラリーマンのような仕事を選んでしまった
- テレビで働く人達は内心「視聴者」を軽蔑し、うんざりし、嫌っており、そしてひょっとしたら憎んでいる。
- 「あれ筑紫哲也じゃない」「ちがうだろ、いまごろこんな所にいるはずないよ」
- 滅びようとしているものの裾野に「ことば」があり、そのことを露出させたテレビ番組をすごいと思う。
- 乗り物に乗ると、中でもいちばんひどいワルガキが私のそばの席を占める。
- フセインのクウェート侵攻について私はヒトラーよりも太平洋戦争前夜の日本を思い浮かべてしまった。
- インタビューの成否を決める「答」を引き出す方法は千と三つほどあるが・・・。
- 無知であればあるほど、そこに忍びこんでくるのは「偏見」という化物である。
- 私はちょっぴりソビエトという国が好きになりかけている。
- 誰がビンセント・チンを殺したか?
- テレビの全域にわたって「やらせ」はあり、いやテレビの表現のほとんどは「やらせ」だとさえ言える。
- 村での少年時代、私は本への飢えで苦しみ続けた
まぁ、そんなこんなで真っ茶に変色した背表紙の本が地震前に出てきたのも何かの縁なのでしょう。
謹んでパクった次第なのです。
以上、よろしく!
追記:5月17日にまた変更しましたm(__)m