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とりとめのない備忘録です

検証『永遠の0』その二(ネタバレ注意)

今日も映画『永遠の0』のニュースが飛び込んできた。
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さて、『永遠の0』を読み終えて、一番気にかかったのは「第七章 狂気」での谷川正夫(元海軍中尉)の回想(という形の著者の声?)だった。

今回は『永遠の0』(文庫2013年9月2日第43刷)から引用する。

 関大尉は軍神として日本中にその名を轟かせた。関大尉は母一人子一人の身の上で育った人だった。一人息子を失った母は軍神の母としてもてはやされたという。しかし戦後は一転して戦争犯罪人の母として、人々から村八分のような扱いを受け、行商で細々と暮らし、最後は小学校の用務員に雇われて、昭和二十八年に用務員室で一人寂しく亡くなったという。「せめて行男の墓を」というのが最後の言葉だったという。戦後の民主主義の世相は、祖国のために散華した特攻隊員を戦犯扱いにして、墓を建てることさえ許さなかったのだ。関大尉の妻は戦後、再婚したと聞いている。(P344)

『指揮官たちの特攻』を読むと、関行男の母サカエは、もてはやされたというより「軍神の母」扱いに戸惑ったというほうが正しい。
それはさておき、サカエが一人暮らしをしていたことは事実だが、そもそも行雄の父親が馴れ初めの時点で大阪に妻子がいるのに、そのことを隠していたということを、まず記しておきたい。関行男の生い立ちについては中途半端に略すと誤解を与える可能性もあるので、その点でも是非『指揮官たちの特攻』を手に取ってもらいたい。

さて、戦後は特攻隊員のみならず、復員兵全体を見る目が変わったという面は確かにある。以下の引用は『指揮官たちの特攻』より。

 敗戦によって、特攻隊員やその遺族を見る世間の目は一変した。
「石もて追われる」という言葉どおり、神風第一号の関大尉の母サカエは親戚の小野家に居たあと、別の家に移っていたが、その家に石を投げ込まれた。このため、大家から「即刻立退きを迫られ、文字どおり石もて追われて、また別の家に。
サカエは三年近く、知人宅の物置き部屋にかくまってもらうことになる。(P198)

ただ、周囲が「墓を建てることさえ許さなかった」というのは筋が違うと言うか、印相操作ではないか。

 一方、表面には出なかったが、八千円の弔慰金も支給された。大学卒の銀行員の初任給が八十円ほどであった当時としては、かなりの金額である。
 ただ、サカエはそのことでも、とくに反応はなく、しばらくしてからようやく、
「行雄のために、りっぱなお墓をつくってやらにゃ」
 と言い、実際に生活が苦しくなっても手をつけず、そのまま貯めておいたが、戦後のはげしいインフレのため、結局、あまり役に立たなくなってしまう。(P65)

 行雄の墓をつくるため大事に預けていおいた弔慰金ではもはや墓地を手に入れることもできなくなった。
 早くつくっておけばよかったのだが、サカエには未練があって、どうしてもその気になれなかった。行雄の遺髪はとりあえず関家の墓に納め、お詣りもしているが、関行男のための墓をつくり、そこへ行雄ひとりを収めてしまえば、行雄はすっかり別の世界の存在になってしまう。(P199)

戦後のインフレーションというものを無視しては正確なところは伝わらないと思う。
そして、母サカエには世間ではなく、軍に対してのわだかまりもあったのではないだろうか。

 墓とは別に、りっぱな慰霊碑が建ち、毎年慰霊祭が行われるようになったが、「神風特別攻撃隊」の名づけ親である源田実が来ると聞いてから、サカエは参列しなくなったという。(P200)

作者の百田尚樹はことさら「小学校の用務員」になり、「用務員室で」亡くなったことを悲劇として強調しているが、次の文章を読むと、また別の印象を持つことだろう。

 そうしたとき、思いがけぬ嬉しい話が縁者を介して持ち込まれた。
(中略)小さな小学校の小間使いにならぬか、と。
(中略)サカエも働きながら小間使室で寝起きもできる、という。
 小躍りして、サカエはその仕事にとびついた。昭和二十三年八月のことである。(P200)

 むしろ、子供たちと仲良しになり、慕われたりするのをよろこんでいた。子供のころの行雄を思い出しもしたのであろうが、心を暗くする雰囲気ではなかった。
 だが、高血圧が進んでおり、その谷間で働き出して五年ほど後、昭和二十八年十一月、村の雑貨屋の店先で倒れ、戸板で小使室まで運ばれ、絶命した。ときに五十五歳であった。(P201)

幸福とは言えないかもしれないが、決して絶望の淵に沈むということでもなかったのではないだろうか。
もちろん、心の奥底をうかがい知ることは容易にできることではないが。
この引用文の後、城山三郎はさらにこの学校を訪れての感想も書いている。
これは城山三郎らしい視点と思うので、しつこいようだが本を手にとって読んで欲しい。

そして「関大尉の妻は戦後、再婚したと聞いている」に至っては、文脈上良い印象の語りには読めない。確かに『指揮官たちの特攻』を読むと関行男夫人と中津留達雄夫人はそれぞれ再婚している。中津留達雄の娘は中津留の父母が引取るという形になった。が、これは皆それぞれがそれぞれの行く末に幸多かれと願っての結果であり、決して立場に物を言わせたり、打算の結果ではないと思われる、とだけ書いておこう。

一事が万事、とは言わないが、『永遠の0』は読んでいて、挿入されたエピソードがあまり良い使われ方をされていないところが目につく。

困った本だとも言えるのだった。

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)

さらに続く。

追記 今回も敬称は省略した。