先日、比叡山延暦寺参拝旅行に行ってきた。
地元のお寺が檀家さん向けに募集した二泊三日の旅行。
お寺のお坊さんも、旅行会社の添乗員さんも同行するという豪華?版である。
我が家も檀家になっているので、参加してきた、という訳。
約40人ぐらいの参加だったろうか。
その中では自分が一番若かった^^;
今までなら親父が参加していたのだが、今回はその親父が「どうだ」と言ってきた。
恐らく「お前も後継ぎとしてこういうお寺の行事に参加せい」と言いたかったのだろう。
しかし、放蕩息子の意識はそんなところとは別なところにあったのだった。
これが10年前だったら「面倒くさい」と一言で蹴っただろうし、5年前でも「面倒な…」と断ったかもしれない。
今回、あの震災後ということで思うところも多々あった。
特に、中島岳志北大教授のあの文章を思い出していたからだろう。
それは、
http://www.hakusuisha.co.jp/topics/08094.php
しかし、私は地震から数日後のテレビ中継に、地震直後よりも大きな衝撃を受けた。
画面は長田の町だったと思う。家屋が倒壊し一面が焼け野原になった区域で、助かった住民たちが、焼け跡で探し物をしている映像だった。みんな「思い出のもの」などを涙ながらに探していた。
その映像の中に、一人の老婆が映し出された。
おそらく七十歳ぐらいと思われるその女性は、テレビカメラが近づいてきていることも気づかず、一心不乱に瓦礫をかき分けていた。その姿には、どこか鬼気迫る雰囲気が漂っていた。
テレビカメラとレポーターは、その女性に近づいていった。
そして、女性に声をかけた。
「何かお探しのものがあるんですか?」
すると、女性は一瞬戸惑ったような、そして「何を当たり前のことを聞くんだ」というような複雑な表情を浮かべて、こう言った。
「位牌です。」
私は、テレビの前で小さな唸り声をあげて、固まった。
なぜか?
それは私には、自宅が倒壊したときに、真っ先に位牌を探すという観念が全く存在しないことに気づかされたからだった。
津波で家を流された親戚にも「全部じゃないけど位牌が見つかったよ」と言っている人もいた。
そんなこともあり、自分の中に埋もれていた信仰心のようなものが形を表してきたような気がした。
そんな時に天台宗の総本山に行くというのも何かの縁かもしれない、と思うようになったのだった。
参加者の中には仮設住宅にお住まいの方もいらっしゃったようだ。
その方も「朱印帳も流されちゃったからね、また一から作るよ」と仰っていた。
せっかくなので自分も作った。
日程は、
二日目は他にも何カ所か寺院を回ったのでちょっと忙しかったが、高校生の時(修学旅行)には分からなかった京都の奥深さが少しは分かるような気がした。
歴史を味わい、多少?は人生経験を積むと見えるものが違ってくるのだろうか。
天気は三日目だけ少し雨に降られたくらい。
その雨も帰りの京都駅にたどり着く頃から強くなったという運の良さでした。
うー、また行きたい。
今度は気ままに。