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yosi0605's blog

とりとめのない備忘録です

映画『沈まぬ太陽』

音楽・映画

今日は文化の日。昔なら明治節であり、後は現憲法が公布された日だということだ。

さて、遅くなったけれど先月の記録を残しておこうと思う。25日、宮城県知事選のあった日、『沈まぬ太陽』を見てきた。





長い。なんと言っても3時間22分もある。間に10分の休憩が入るが、『七人の侍』『赤ひげ』と同じらしい。『風と共に去りぬ』をリバイバル上映で見たときもそうだった。でも、見始めれば時間は気にならなくなり、画面に引き込まれることは保証したい。


映画自体は丁寧に原作世界を再現していたことに感心した。日本、パキスタン、イラン、ケニア、アメリカと展開される風景も素晴らしい。そして御巣鷹山の墜落事故での飛行機内シーン、墜落現場、画面を埋めつくす収容された遺体を収めた棺の数々は映画として描ける限界に挑んだ圧倒的なものだと思う。


主役の渡辺謙の存在感は圧倒的。他のキャストも満足できたが、総理大臣(加藤剛)のまわりの閣僚役はもう少し何とかならないかと思った。演技が「軽い」し、浮いていたような気がする。意外だったのは主人公と対立する役の三浦友和の敵役ぶりが良かったこと。ともすれば「いい人」ばかりの役が続いていたけれど、役者として別な面を出せて本人も楽しめたのではないか。ストリー自体が深く考えさせるものなので見るほうも緊張を強いられるのだが、そんな中で桂南光演じる主人公の娘の婚約者の父は、俗物っぽさ全快で映画の中で踊り場となり、息抜きできた。


さて、映画自体の出来とは別に、原作は発表当時から問題になっていた。自分は文庫化されてから読んだので、この問題を知ったのはずいぶんと遅いことになる。話の中の「国民航空」はすぐ「日本航空」のことだと分かるし、登場人物も敵役の行天を除けば「この人はあの人」とすぐ分かる書き方になっている。それが当時の政権中枢にまで行き着くのだから、当然、作者の山崎豊子側はかなりの批判にさらされることになる。この問題に関しては詳しく言及しているサイトが数多くあるので、両方の側の言い分を読み比べていただければと思う。


そして、自分の意見……のようなもの。


主人公の「恩地元」には一応小倉寛太郎というモデルとなる人物がいるが、「彼は御巣鷹山に行っていない」「遺族係を担当した事実はない」などの批判がある。これは原作者の側が「フィクション」と断っているとおり、小倉寛太郎の辿った足跡に数々のエピソードを加味して「恩地元」というキャラクターに結実したと考えるべきだろう。それが原作の価値を下げるものだとは思わない。一方の当事者である日航側、政府側からの情報が殆ど得られない状況では原作者の言う「実験的手法」を駆使して真相に迫ろうとするしかないと思われる。そして、批判が小倉寛太郎への個人攻撃に傾けば傾くほど、第三者からすれば「どこまで本当なのか」と野次馬的に興味がそそられるのも致し方ないだろう。原作の連載当時、掲載誌の週刊新潮日航の機内サービスから除かれ、今回の映画でも日航の協力は得られず、羽田などのシーンはCGになっている。


映画を見て、最近とんと聞かなくなった「不当労働行為」なる言葉を思い出した。
自分はちゃんとした労働組合があるような会社に勤めたことがないのでなんとも言えないが、組合活動を生理的に嫌う人がいるのは事実だろう。組合の側にも問題があったかもしれない。しかし、どのような理由があるにせよ“懲罰人事”を許す理由にはならない。今、JR福知山線脱線事故のことなどを思うと、これは戦後の労働行政と中曽根民活路線の帰結のような気がしたりする。


ともあれ、原作は映画に入りきらなかったエピソードも圧倒的で、将来も読み継がれるものと確信する。個人的に、作品の成り立ちが『仮名手本忠臣蔵』にダブってしまうのはどうなんでしょ。


沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫)